と書きながら普通に書き続け。
今日はもう恒例のドタキャンで合わせがなくなったので、午後を無為に過ごしてしまった。
基本がドタキャンorすっぽかし はなんとかして欲しい。
ところで俺は、詰め将棋を特訓したほうがいいんじゃないかと最近よく思う。
物事を遠く見据えて、大きく算段した上でスマートに行動に移す。これは人生においてかなり重要なことだと思う。
おれはというと・・・文章は一行書いては消し、また書いて消し、いきあたりばったり書きなぐっては悩み、ぐしゃぐしゃもそもそやりまくりなので、これは絶対に脳力を低下させていると思う。
思えば、過去の作家たち(作家だけじゃないけど)というのは紙の原稿用紙を相手にしていたわけで、多少の修正はあるにせよ常に頭に一定の構成を溜めてから行動に移る、という作業をしていたのだから、脳の働きはいつもシビアで、行動と脳のバランスがまあ、当然とれてくる訳だ。
日常からそういう訓練をしていると、思考と行動、精神と肉体、の付き合い方が現実的でスマートなものになってくると思う。
とオーバーなことを書いているけど、要するにこれは人間が普通にやってきた当たり前の事だが。
たとえばこれが出来ていない、上記の俺のような有り様が日常化してると、恐らくは分かりやすい例では「しゃべり」にも影響が出てくるんじゃないかと思う。先述のように数文字書いては消し、試行錯誤、辺に客観的に自分の文章を添削してまるでウソの彫刻でもつくるみたいにコネコネする思考回路では、当然ながら人前で大きな話を即興的に理路整然と語るのはかなり冒険になってしまう。
言い換えれば自己からの自然な表出が奇形的に客体化しちゃってる、という言い方もできると思うんだけど、これはどっこい一部の現代日本人の一つの特徴のような気もする。人からどう認識されるか、自分がどういう人っぽくあるか、という小さい価値基準の中に自分を収めて虫の息で生きてる日本人はけっこう見るような気がする。というか若い日本人のイメージというのがけっこうこれにハマッてると思うのは俺だけでしょうか。
話は脱線したけど、これはもちろんしゃべりだけじゃない。あらゆる想像力や先見性を失わせるんだから、ひいては自己と社会との関わり方にも影響しだす、と見るのは、それほど大嘘でもないと思う。
まあ要するに、脳が退化しているということだけど、ここでもっとヤバそうなのは、脳が退化してるだけじゃないということ。実際には、大昔の人間に比べて、一日に処理する情報量は飛躍的に増えてるし、生活は便利に楽になって肉体はむしろ厄介者扱い、現代人の肉体は目に見えて不調をきたしてて、「都市化は脳化」と言わしめるほど現代社会は脳社会になってるはずなんだから、単純に脳の退化、っていうほど楽なもんじゃないと思う。
だから、正確に言うなれば、やっぱり、人間の存在自体がどんどん虚無化している、虚無の方向に進みたがってる、ということなんだと思う。行動ありき、という具現性を前提にした脳の働きではなく、認識、意識、感覚、みたいな、いわゆる幻想の世界ばかり猛大に発達したがってる。その行く末たるや、虚しき消滅の運命にあるということは目隠しで、どんどん邁進。
脳の行動はこう考えると面白い。自分で自分自身を騙しながらそれを無くしてしまう方向に進もうとしてるわけだから。
脳というのはもともと肉体に張り巡らされた神経群が、局部的に発達して出来上がった部位なわけで、つまり元をたどってしまえば肉体のための単なる知覚装置だったにすぎない。還元して考えてしまえば、行動から知覚、思考が生まれることがあっても、無からの知覚、思考から行動が生まれることは、本当の意味では、実は存在し得ない。
おいおい始めと言ってる事が噛みあわねえぞ、と思うかもしれないけど、これは「本当の自分から出るものなどありえない」ということと同義でもあるから、重ねて考えれば分かりやすい。
みんな自分で生み出していると錯覚してることは全て外界から認識したものなわけで、言うなれば、自分の中にあるものというのは全て外にあるものと連帯しているということになる。
この巧妙な仕掛けにはまって、自分の中にあたかも「創造の泉」があるかのように錯覚して一生懸命自分の中を見たって、どんどん空気が無くなって窒息してしまう。もしくは、延々と同じ場所を彷徨い歩き続ける。ようするに、神経が神経を知覚しようとするようなもので、裁判官が自分を裁判するようなものだから、そこには知覚、前進の対象となる実際の対象物が存在しない。ようするに、虚無なわけだ。
人間は常に実体と触れ合っていなければならないし、周囲の全てに開かれていなければ、急速に消滅へのエネルギーが増すのは明らかなことなのが、このことからも明らかすぎるほど明らかだし、あまりに自然な法則。
電子という幻想のツールに囲まれて生活していると、最初に書いたように、どんどん自分の都合に切り替えていける。自己本位になれる。ようするに、自分の中に向かっていける。物質との干渉に肉体と思考を折衝させる必要が無い。つまり虚無に向かっているわけで、脳は肥大と同時に退化して、それ自身すら消滅する方向に向かうパラドックスを形成してることになる。
耳をすませる。周りに気を配る。物事をしっかり見つめる。 しょっちゅう言われる小言みたいなことだけど、ここにはそれの真理があるわけだ。
詰め将棋の話から気が付けばすごい猛大な話になってるけど、要するに、人間の脳みその使い方として、強力に”外部との関係と噛み合わさって””頭を使う”ということは、全てにおいて絶対必要不可欠だ、というキーワードで、大きく繋がっているハズ。